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朝から晩まで2525ならぬ2424(ニヨニヨ)している坊主のブログ。ニコニコ関連記事を中心にアイマスとかボカロとかの感想を言ったりします。 主にニコニコRPG関係、ニコマス動画についてご報告させていただきます~。あとデフォルトで遅レスです… ご了承いただきたく(´・ω・`)

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朝から晩までニヨニヨしているダメ僧侶。最近怖いことは毛根が死滅すること。SFとヤンデレとみっしりした漢字がとても好き。
閣下をこよなく敬愛しておりますが、今だハコ購入に至らない僧侶に愚民を名乗る資格なぞ無いため、遠くから密かにお慕い申し上げております…
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なんかもう寝ようと思ってだらだらニコ見てたら、すごい作品見つけて鳥肌立った。



これは… SFだよな?
リンPの作品は、ソレよりも前に雪歩の【私は 】と、【Believe】を見てからだったので、なおさらゾクっとしました。
書いてる人のブレとか文脈が、マイリストから辿れちゃうのが、ニコニコの怖いところですね…

ようするにコレはゲームである。
《はぎわらゆきほ》は、実在の人物ではなく、ゲームの登場人物である。
彼女をプロデュースして失敗したら、また、リトライをすればいい。そうすれば彼女はまたあらわれる。何回もループを繰り返せば出口が見つかる。リトライ、リトライ。もう一回ゲームを遊びますか? ってなもんで。
仮想人格をテーマにしたSFってのはサイバーパンクのころからスタートしたんだと思うけど、初代は、やっぱりティプトリーの《接続された女》だと思います。これ、原題だと《ワイアード・ガール》なんですよね。現在でもちらほらとサイバーパンク系の作品で見かける《ワイアード》って言葉はココから広まったのかなとか思う。
これがまた怖いのが、《接続された女》ってのはアイドルの話だというあたり。

ティプトリーは今からほぼ40年前、【接続されて】しまう少女、P・バーク=デルフィの物語を描いた。
デルフィは完璧な容姿を持ったアイドル。ただし、彼女は脳を持たないただの培養された肉体にすぎない。デルフィを動かしているのは、P・バークという別の少女である。
P・バークは醜く、だれからも省みられない。だが彼女はデルフィの《脳》となって、完璧なアイドルであるデルフィを操り、動かす。デルフィはだれからも愛され、文字通り大衆の《女神像》となる。
しかし、とある青年が、《デルフィ》を愛してしまったことにより、物語はいささか滑稽な、それ以上にシリアスな、寓話の展開を迎えることとなる。
青年の名はポールというのだが、彼は、実体の無い《デルフィ》を愛し… その体験の後、《デルフィ》を作り出したシステムに協力する道を選ぶという実に皮肉なEDを迎える。
別に符号じゃないんだけれども、なんか、《P・バーク》も、《ポール》も、共に《P》なんだなーと今思った。
なんか、リンPの【GAME】は、ポールの側から見た《接続された女》に見える。

初音ミクを書いた同人誌、なぎみそ氏の《みくよん》は、実にSFとして描かれた作品だった。(符号として”クオリア”とかいう言葉が使われてるあたりからして、バリバリにSFである)
作品としても非常にインパクトのある作品なんだけれども、後書きで書かれた言葉がまたすごかった。
なぎみそ氏は、《みくよん》に対するコメントで、こう書いている。
「ヴォーカロイド(つくりもの)にできて、何故あなたに出来ない」
そう自分の娘に対して怒鳴りつけるエンジニアについて、『とんでもない台詞ですこれ。生身の人間にアニメの女の子並みの甲斐性を要求している男性が沢山います。逆もまた然り。叶わぬようなら一生独身でいい。おそろしい世の中になっていますね』とコメントする…
まあ、これは脱線。でも、《接続された女》ってのは、男性の視点から読み直すと、とんでもなく恐ろしい話なんじゃないかとまた思ったのですよ。

自分の好きになった女の子は虚像である。
それはどこまでも真実で、P・バーク≠デルフィであるという真実は、どう頑張っても変えようが無い。
《はぎわらゆきほ》はどこにもいない。声優さんと、モーションキャプチャのモデルになったダンサーさんと、シナリオライター、さらにキャラクターデザインさんがいるだけ。
じゃあ、何が真実なのか? 《はぎわらゆきほ》が虚像だったら、彼女に対して思い入れをして、彼女の物語に対して自分の身を切るような痛みと共感を感じていた【私は 】一体何者なのか?

また話がズレて。
なんか、このテのフェミニズムSFが好きな身(かのセンセーショナルで悪名高い、《我が愛しき娘たちよ》も好きです)としては、最近のオタク論関係がなんとも奇妙にねじれて感じられる。
もう古いけれども、本田透氏の『電波男』のなかでものすごく切実だった部分、本田氏が不幸な家庭の中で鬱々とアニメの世界に没頭していた頃に、たくさんの不幸な美少女たちをアニメの中に見出して、「どうして彼女たちには、愛があたえられないのか?」と書いていた部分で、そのねじれをものすごく感じた。
不幸な女の子たちは、つまり、イコール本田氏だとしか思えなかったのだ。
だがしかし、本田氏は、「自分が彼女たちと出会えれば、心から愛し、かならずや救って見せるのに」という。
自分に、自分が出会い、愛して、救う、というのは、どう考えても変、というか、どこかしらでねじれた感じだと思う。
物語のなかで、囚われのお姫様である自分を、王子様になった自分が救いに行く、と宣言しているようなものに思えたのだ。もっというなら、「私はP・バークである。だがしかし、《P・バーク》ではない《デルフィ》を、ポールとなって救いだしたい」と言っているように思える。
現実と虚像、イメージと実体にズレやよじれ、ねじれがあるのは当たり前、とはいえ、このねじれはそのまま飲み込むにはあまりに大きすぎる。

とはいえ… 本田氏しかり、ニコマスの名P諸氏しかり、ここまで繊細な感受性を持った、そして、同性に対しては優れた連帯能力と優しさを持った人々が、虚像に過ぎない「お姫様」にこだわりつづけるのは、なんだか、ものすごく無駄な労力の使い方である気がするのだ。
あなたがたは王子様ではない。お姫様でもない。強いて言うなら、《P・バーク》であるのだ。だがしかし、あなたがたの人生は、文庫にして70P程度でおさまるようなものでは到底無い。もっと別の出口は、どこかにあるのではないか?

とはいえ、それが何なのかは、自分にはとうてい分からないことではあるのだが……
とにかく、【GAME】はそんなことを深く考えさせてくれる名作でした。たった6分程度の作品がここまでSFであり、詩であることができるというのがすごい。

ものすごい時代に生まれつけたことを、神様に感謝します。

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