忍者ブログ

朝から晩まで2525ならぬ2424(ニヨニヨ)している坊主のブログ。ニコニコ関連記事を中心にアイマスとかボカロとかの感想を言ったりします。 主にニコニコRPG関係、ニコマス動画についてご報告させていただきます~。あとデフォルトで遅レスです… ご了承いただきたく(´・ω・`)

カレンダー
11 2017/12 01
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
フリーエリア
最新CM
[03/08 セックスフレンド]
[03/06 生徒会副長]
[02/27 割り切り]
[02/27 童貞]
[02/27 割り切り]
最新TB
プロフィール
HN:
匿僧/おしまいのP
性別:
非公開
趣味:
ニコニコ動画・読書・その他
自己紹介:
朝から晩までニヨニヨしているダメ僧侶。最近怖いことは毛根が死滅すること。SFとヤンデレとみっしりした漢字がとても好き。
閣下をこよなく敬愛しておりますが、今だハコ購入に至らない僧侶に愚民を名乗る資格なぞ無いため、遠くから密かにお慕い申し上げております…
バーコード
ブログ内検索
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

11/30のぬえさんへのお返事なのですが、ナニか恐ろしく長くなりそうなので独立してみました…
AI論争は好きな人は大好きなので。そしてわたしは大好きなので。ここらの話はボカロSNSである【ボーカロイドにゃっぽん】とかにいくと大量に人がいるのですよ、実は…w

あと先に!
私の話はかなりタネ本があるので、かなりの部分引き写しだとここに宣言しておきます。えっと《ロボットに心はるのか~七つの哲学論争》という本なのですが、フレーム問題から何から何までかなり分かりやすく解説してて、ロボAI好きにはすごくいい本ですよ。
ただし一番重要だと思うのが、その本は《哲学》であって《情報工学》の本ではないということです。なんというかそもそもAIに心が云々というのは、絶対的に《科学》ではなく《哲学》だというのが前提だと思われます。
というのも、現時点のテクノロジーはそもそも人間と同じような振る舞いをするロボットなどというものをまだ作れないし、技術的に可能だとして「何のために作るのか」とかいう部分がまず出てくるわけで、人と同じように思い・考え・ふるまうロボットなどというものはまだ実用科学の部分だと語るだけの価値すらないんだと思います。
だから、この話題は《哲学》ないしは《思考実験》だということになると思いますよー、そもそもAI論争とかの蓋を開けてみると、中身が実はギリシャ哲学とかだったり動物行動学だったりする部分があるなんていうカオスはそこらへんから発生してるんだと思われます。

ロボットについては、最終的に人間にとってそれらの一挙一動がどう映るか、という話になりそうです。 >
私もそう思いますー、ただこれって実は、《人間と人間》においても適用される話になると思いますので、あまりそこは重視しなくてもいいかな、とか思いました。
結局のところ《その人》が内部だとどういう思考回路を持ちどういう意思を持ち動いているのか、というのは、人間同士でも結局はその人の発言とか行動から推察するしかないので… もっというなら、《人間と動物》の関係のほうが《人間とロボット》に近くなるのかもしれません。《人間と家畜》だとさらに正確かもしれません。家畜というのは人間と共生関係にある動物のことですから。
家畜に心はあるのか? たとえば犬とか猫とか、馬とか牛とかにココロはあるのか。いまだとそんなんあって当たり前だよーとか言われてますが、二百年も前には、馬とかを痛めつけると悲鳴をあげるのは古くなった車がきしむのと同じとか言われてたこともあったみたいです。かように《ココロ》とはヒト(観測者)とヒト(観測対象)との間に存在するゆらぎとかさざなみのようにあいまいなものであると。
なので、このへんはホントにぶっちゃけると、「私にココロはあるよ」というコが、「こいつにココロがあるね」と思う相手と出会うか否か、ってあたりに真相がある気もします。

長い時間を要する理屈でもって『結論を出す』ことよりも、『生きる』、もしくは『生活する』方向に重きをおいてる…という解釈でもいいんでしょうか。 >
このへんは本にもおなじことが書いてあったので確認しました!!
こういうのを《時間圧》というのだそうです。与えられた課題を、与えられた期限内に結論を出さないといけない、という必然性を《時間圧》というのだとか。というよりも、時間圧が存在しない問題提起ってのには意味が無い…とまでいうそうです。これってあたりまえな気がします。たとえば目の前にある石を避けて歩くか否かを決断するのに一万年かかる相手とはコミュニケーション不可能だし、逆に、目の前の相手と交尾して子どもを作るか否かを5秒で決めないといけない相手とは心のあり方も必然的に変わってくる気もしますしね…

思うに、人間型ロボットの心のあり方というのは、「彼らが何を求められ、《心》を与えられたか」に終始する気がします。
そもそもロボットを人間型につくる必然性というのは、「人間と同じ環境で暮らすため」以外に存在しない気がします。速く走るなら4~6本ないしはタイヤ、皿を洗うなら食器洗い機、演奏するならスピーカー、そして戦争するなら戦車や戦闘機のかたちのほうがずっと優れている。
それでも人間型ロボットがどこかで必要とされているとしたら、彼らが、「人間のために作られた環境でともに生活する」もしくは、「人間の生活上でのパートナーとなる」のどちらかしか理由がありません。
その二つを分けたのは、実用と愛玩用を分けて考えたほうがいいかなという理由によりです。働く犬とペットの犬の違いみたいな… ただ実用性だけで考えるんだったらロボットはどんどんヒトガタを離れていく。人と似た形をしたロボットというのは、大なり小なり、「ヒトであれ」と思われているんじゃないかなと思います。
ヒトの目を楽しませ、ヒトの生活の手助けををして、ヒトと同じ時間空間を共有する。でもヒトとは根本的に性能が異なる。そういう存在はどういう心を持つんでしょうね…

これちょっと変な話なのですが、私は、生まれつき、もしくはごく幼い頃に障害を負った人というものにものすごく惹かれるものを感じたりしてます。
たとえば、いわゆる健常者である私たちは、文字を読むとそれが音として頭の中に再生され、夢を見るときも考えるときも「ことば」を使います。でも、生来の取得言語が手話である聴覚障害者のひとたちは、手話で考え、手話で夢を見るのだという。それがどういう体験なのかは相互にお互い理解できない気がするのです。
自閉症の人は普通の人と脳の構造がちょっと違っていて物事の捉え方が違うらしいのですが、その中でも、「健常者」と同じ言葉を使えるバイリンガルな自閉症の人が語る世界というのはまるで異世界です。毎日まったく同じ行動をとることの安心感(バスでは必ず同じ席にしか座らないとか)とか、刺激というもののもたらす鮮烈な感覚(雨にあたると針が刺さるような感じでいたいとか)、あとは緻密に出来上がった世界というものそのものの美しさ(素数はツンとしており個性的で他の平凡な数字とは個性が異なるとか)などとか…
ロボットはたぶん人間と同じ方法で光学的データ(いわゆる視覚ですね)を処理しないだろうし、音に対する反応も違う、あと、思考も言語じゃなくてプログラム言語によるもののはずです。
人間といっしょにいるうちは彼らも「人間に合わせて」生きるでしょうが、彼らだけの世界をつくったとき、そこには人類には知りえない美しさとか恐ろしさとか、あとは醜さ楽しさ意味や無意味、が溢れるのかな、とか思ったりします。それってすごいですよねぇ。

…と、一介のSF好きは語ってみますw
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
Designed by 桜花